坂本龍馬

2008年04月10日

蝦夷

こんにちは

さて、蝦夷です。
遠くは7世紀頃、北海道から東北南部までを支配していた“蝦夷”が大和に破れます。
その後、江戸時代には、函館に松前藩を置き、もっぱら南部だけを江戸幕府が
直轄領として支配していました。
そして明治に入り、明治政府は、樺太、北方諸島、台湾、朝鮮と同様に
蹂躙に近い形で、支配を広めて行きました。

蝦夷の先住民族との話を始めると複雑になるので、
とりあえず、外国人にまるで偏見のない龍馬の
天性のコミュニケーションを持ってすれば、
先住民はじめ、中国、ロシアなど周辺からの移民を含め、
多民族国家の成立も可能であったかと思います。
(明治政府では無理でしょう)

多くの友人や家族たちの無駄死にを嫌というほど見てきている龍馬は、
あの時代において、国家の主権が国民にある、ということを肌で知っていた
希有な存在の一人であったと思います。

国のビジョン、理念として、龍馬の意思が国民共通意識として伝わっていれば、
たぶん素晴らしい国作りの第一歩が築けたのではないかと考えます。

北海道には、石炭をはじめとする地下資源、木材、海産物、広い土地を活用した
農作物、畜産物、と商売人の龍馬にとっては涎が出る程の可能性を秘めていました。

kenjin1010 at 11:51コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!

2008年04月08日

ヒーロー

いつの世にも歴史に求めれられてしまう人物というのがいますね。
あのときも、日本の国は、誰かヒーローを必要として、
綱渡り的とも言える絶妙なしかけで、龍馬を生み出しました。

大政奉還が成った時点で、龍馬の日本における仕事は済んだと思います。
龍馬自身も、明治政府に名を連ねる気などさらさらなかったですし。
でも、なにも葬り去ることはなかったのに...

日本のことをやり終えた後、龍馬がやりたかったことは「世界の海援隊」
世界との貿易、世界への船出でした。
海援隊を受け継いだのは、三菱の岩崎弥太郎でしたし、巨大な海運王国を築きました。
しかし、そのビジョンはちょっと違ったような気がします。

もし明治政府樹立後も龍馬が生きていたなら、政治家にはなっていないにしても、
日本帝国へと変貌させる事はなかったでしょう。
当時の政治家は、江戸時代、戦国時代、と変わらない思考回路だったということでしょう。
そんな政府も、経済界も、軍も、すべてを説き聞かせることができるのは、
龍馬だけだったでしょう。

龍馬の子どものような探究心と知識欲、人種を問わない人好き、
誰をも魅了する天性のコミュニケーション能力と、龍馬を慕う多くの人材、
特に、海援隊の中にあって、龍馬以外唯一、天才的国際感覚のあった
睦奥宗光などと共に、政治を超えた大きな求心力で国民を引っ張り、
国際社会で重要な位置に日本の国を導いていったであろうと思います。
当時、日本で1、2を競う剣豪でありながら、生涯、人を切ったことのない龍馬は、
武力に頼る事なく、アジアの盟主として尊敬される国を作っていたのではないかと思います。

kenjin1010 at 11:49コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!

2008年03月31日

龍馬と北海道1

坂本龍馬が好きだという方はけっこういらっしゃるようです。

じつは龍馬は、北海道を目指していた記録があります。

勝海舟の海軍塾の塾頭になった頃、
各地で若い命が無駄に散っていくのを惜しみ、

「いまは日本人同士が争っている場合じゃない、
京で浪士たち若者を集め、蝦夷地へ赴き、
ここを開拓しながら、蝦夷地の資源をもとに貿易をしたい。
そのために幕府の船を貸してもらえないか」

と勝海舟に談判し、ついに黒龍丸という蒸気船を手に入れました。

しかし、蝦夷地を目指し、神戸港を出発し、品川についた頃
池田屋事件が起こり、その反乱軍の中に勝塾塾生がいたため、
勝海舟に迷惑がかかることを配慮し、蝦夷地行きを断念。

その後3度にわたり、蝦夷地を目指しつつも果たせませんでした。
日本の国が必要としていたのでしょうか。

蝦夷地について龍馬は、
「新国を開き候ハ積年の思ひ 一世の思い出」
とまで手紙にしたため、
北海道を拠点に、船による大がかりな貿易の夢を描いていました。

あの時代、そんなことを考えていた男が他にいたでしょうか。

僕の大好きな人物の一人です。

kenjin1010 at 11:48コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!